加賀乙彦が宣告で提示した死刑制度の恐ろしい問題と矛盾点

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こんにちは。ニャンさん@nyankodearuです。

 

今回は加賀乙彦先生の著書宣告を紹介し、また死刑制度の問題についても考えていきます。

 

加賀乙彦(本名:小木貞孝)先生は東京大学医学部を卒業した精神科医で、同時に文筆もされていました。10年ほどの期間、上智大学文学部で教授を務めた経歴もあります。

 

この『宣告』という本は、加賀先生自らが東京拘置所医務部技官として勤務した経験を基に、死刑囚の苦悩や、死刑という制度に関する問題点を描いた小説で、私も何度も繰り返し読んでいます。

 

 

死刑に関してはあらゆる次元での論争があり、すべての人が納得できる答えというものは存在しないのが実情です。しかしモラルが強く、公平な社会を望む日本においては、被害者の視点から死刑を肯定する意見が多い傾向にあります。

 

一方で海外、とくにヨーロッパでは否定的な意見が多く、EU(欧州連合)では死刑を「基本的人権の侵害」と捉えており、死刑廃止をEU加盟の条件としていますね。

 

さて、本題に入りましょう。この『宣告』という本の中で、とりわけ強く印象に残っているセリフがあります。主人公である死刑囚の楠本他家雄が近木医師に対して心の中で放ったセリフなのですが、要約が困難なため、全文引用いたします。

 

『お前、近木医官、善良で無邪気な青年よ。形而上学にひそむ苦しみを知らぬ若き科学者よ。死ぬまで悪人であらねばならぬ恐怖、それが本当の死の恐怖なんだ。いいかね、安らかに処刑台に上るには、自分が処刑台に価する人間だと百パーセント納得していなくてはならないだろう。もし悔悟し改心し悪人であることをやめたら、信仰によって神の許しをえてしまったら、もはや自分は処刑台に価しないじゃないか。お前にこの矛盾が解けるかね。イエスと立場が正反対なんだよ。無垢なる人は殺されることに意義があった。しかし悪人は殺されることに意義がないことで、はじめて意義があるんだ。おれが死はこわいと言ったのはそのためさ。わかるかね、お医者さん。』

引用:加賀乙彦(2003年).宣告 上巻 新潮文庫

 

このセリフは極めて本質を突いており、死刑制度のありかたについて再考させられるものです。これにどのような意味が含まれているのか、簡単に説明してみます。

 

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宣告で語られた「死刑に値する人間」とは

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楠本他家雄が近木医官に対し、心の中で放ったセリフ。特に重要なのは、『安らかに処刑台に上るには、自分が処刑台に価する人間だと百パーセント納得していなくてはならないだろう。』という部分です。

 

死刑囚というのは、自らの刑がいつ実行されるかは知りません。拘置所に収容され、自らの死を怯えて待つだけの存在とも呼べるでしょう。

 

主人公である楠本他家雄は、収容後に知り合ったある人物との交流がきっかけで改心し、自らが犯した罪を深く後悔します。しかし同時に、彼の心の中にはある葛藤が生じてしまいました。

 

「自らが死刑台に立つ時、安らかな心で死を迎えるためには、死刑されるべき悪人で居続けなければいけない」という恐怖です。

 

もし仮に死刑囚が改心し、再び過ちを犯す可能性が無くなり、善良な人間として更生したならば、そもそもその人間は死刑に値する人物ではなくなります。そうした人物が、「自分は死に値する」と確信することは不可能でしょう。

 

逆に言うと、死刑囚が刑に納得し、「自分は死刑に値する悪人だ」と確信して死刑台に立つためには、改心をしてはいけないのです。

 

もちろん死刑とは『その人間が犯した罪』に対して決定されるもので、その人間の精神性というものはまた別の次元の話です。原則的には事実に基づき刑は決定されます。

 

しかし、それでは死刑囚とは、刑が執行されるまでの期間をどのように過ごせばよいのでしょうか。

 

更生すればするほど、理想の死刑囚(死に値する人間)からは遠のいていくことになります。

 

自らが犯した過ちを悔やみ、更生したい」という願いと、極悪人としてその日を迎え、自らは死刑にふさわしいと確信して安らかな心で死刑台に立ちたい」という意思は共存し、そして同時に叶えることはできません。

 

楠本他家雄は、この恐ろしい葛藤について訴えているのです。

 

楠本他家雄は作中で罪を悔い、自らの人生を振り返り、周囲の人達からの愛を認識し、また彼らの過ちを許し、人を愛し、自分は真っ当な人間になれたと確信しました。

 

そして最期は無残な姿で死刑されたのです。

 

見事に更生し、周囲の人間から愛され、担当の医官からも尊敬されるという、死刑囚としては最もふさわしくない人物になった上で、無残に死刑されたのです。

 

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死刑制度は何のために存在するのか

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死刑を判決される人間とは、極めて残忍な罪を犯した人物です。しかし、そもそも死刑制度というのはどのような目的から存在しているのでしょうか。

 

死刑を執行する理由として、様々な意見が挙げられるでしょう。

 

  • さらなる被害を防止するため
  • 被害者や遺族の無念をはらすため
  • 他の犯罪予備軍に対しての抑止力

 

しかし、これらはいずれも「死刑」で解決できる問題なのでしょうか?

 

被害の拡大防止に関しては終身刑でも可能ですし、遺族の悲しみは死刑では癒せません。抑止力に対しても決定的な効果があるとは考えられず、「犯罪衝動に対する抑制機能が欠損」している人間に対しては効果は皆無です。

 

一体「死刑制度」とは何のために存在しているのでしょうか。

 

直観的には因果応報というごく当たり前のようにも感じますが、いざ論理的に問題を考えてみると矛盾が多いものですね。

 

しかしこの楠本他家雄のセリフが物語るように、「死刑囚に対しあらゆる精神的苦痛を与え最期は命を絶つという恐ろしい刑」であることは間違いないようです。

 

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