旅の様子はYoutubeでも発信中≫

偽善者とはどのような人のこと?批判される風潮は適切なのか

生活

こんにちは。ニャンさん@nyankodearuです。

偽善者という言葉、よく耳にする機会がありますよね。

特にネット上で好んで使う人が多いようです。

  • あいつは偽善者だ!本当に腹黒い!
  • 偽善者がきれいごとを言うな!
  • また偽善者が売名行為しているよ!

…こんな感じです。

さて、そもそも偽善者というのは何を表す言葉なのでしょう。

「偽の善者」であって、「悪」ではないんですよね。これほどまでに批判されるべき存在なのですかね。

深く考えてみると、難しいものです。

今回の記事では、

  • 偽善者とは何を意味する言葉なのか
  • 偽善者が批判される風潮は適切なのか

これらについて考えていき、その後に補足的な注意点を述べます。

些細な問題ですが、言葉を扱う以上はその意味をきちんと理解しておきたいものですね。

 

スポンサーリンク

偽善者とはどのような人を表す言葉なのか

まずは偽善者という言葉の意味を考えていきます。

偽善者とは偽善をする者。では、偽善とは何を表すのでしょうか。

goo辞書ではこのように記載されています。

ぎ‐ぜん【偽善】の意味

うわべをいかにも善人らしく見せかけること。また、そういう行為。「偽善に満ちた社会」⇔偽悪。

引用:goo辞書

客観的には善人に見えるけれど、それはただふるまっているだけで、内心は違うといったニュアンスでしょうか。

では、善とは何でしょう。

善という言葉は、一般的には人助け(利他行動)をした時に表されますよね。

誰か困っている人の力になり、道徳的に正しい行動をとるということ。

仏教の教えでも重要視されている行為です。

ぜん【善】の意味

よいこと。道義にかなっていること。また、そのような行為。

引用:goo辞書

善という行為について簡単な例を挙げてみましょう。

  • おばあちゃんの荷物を持つのを手伝った
  • 迷子の子供を保護して両親のところに連れて行った
  • 落ちていた財布を交番に届けた
  • いじめられている人を守った
  • 電車で妊婦に席を譲った

こういった行為は善と呼ばれ、社会的には評価されます。

そして、行為を受けた相手からは感謝されるでしょう。

そして偽善者も善者と同じく、人助けや他者に同情を示すといった、社会的に好ましい行為をします。

しかし両者で異なるのは、その行為は純粋に相手を助けたいという動機によるものか否か、この一点です。

さて、このように善と偽善の違いは動機にあり、その行為そのものに差はないということが分かりました。

ここで一つ疑問が浮かびます。偽善者は動機が何であれ、その行為そのものは人の助けになっているはず。

そう、良いことなのです。

はたして偽善者が批判されるという風潮は適切なのでしょうか?

 

偽善的な行為は批判されるべきなのか

偽善者を批判するべきなのか否か、考えてみましょう。

先に私の主張を述べると、たとえ偽善であろうと、それによって救われる人がいる限り、その行為は評価されるべきであると考えています。

一つ具体例をあげてみましょう。

最近目についた行動で、世論として「偽善者だ」という声が多かったものがあります。

ZOZOTOWNの前澤友作社長が、Twitterのフォロー&RTで応募した人の中から100名に100万円をプレゼントするという企画です。

つまり総額1億円をプレゼント。

言うまでもありませんが、これは誰が見ても明らかなビジネス戦略で、最終的には宣伝に使った1億円以上の利益が自分に還元されると見込んでの行為でしょう。

この流れに便乗したSNSユーザーやYoutuberなどがこぞって現金のプレゼント企画を真似し、ちょっとしたブームみたいになっていましたね。

さて、Twitter上ではこの前澤社長の行為を批判する声が多々あがっていました。

  • 明らかな売名行為だ
  • 大量のRTは通知がエラーになるから、まともに抽選しているはずがない
  • 匿名でやれ
  • なぜフォローとリツイートをさせるのか

だいたいこんな声が多かったですね。

こうした意見に対しては私も概ね同感で、おそらく売名行為であるし、当選者も宣伝力などを加味して選んでいたと思います。

結果として売名は成功し、リツイート数のギネス記録という快挙(?)を達成しました。

1億円と引き換えに、前澤社長の知名度は高まったのです。

ただここで一つ考えたいのが、前澤社長の動機は何であれ、彼の行為は「善」そのものだということです。

実際に100万円を手にした人は存在し、そしておそらくその人の生活の助けにはなっているからです。

善と呼ばれる行為は、ある程度の自己犠牲が伴います。

それを実行するための力も必要でしょう。

肉体・お金・時間・精神的な余裕…。

自分の貴重な資源を利用し、他者を助けるという行為なのです。

たとえ真の目的を腹の中に隠していようとも、他者を救うという行為は好ましいことであるし、それで社会が円滑に機能するのであれば喜ばしいことです。

また少し難しい話ですが、人間の善の行動を引き起こすためのモラル(道徳心)は、もともとは裏切者を発見するための機能として進化してきたと言われています。

専門用語でいうと互恵的利他行動というものを成立させるためのもので、これはかみ砕いて言うとギブアンドテイクのことですね。

ギブだけ行い、テイクが返ってこなかった場合、正直者が馬鹿を見る不公平な集団になってしまいます。

これだと協力行動は成り立ちません。

そのためにモラルという心が進化してきたのです。

つまり、善という行動を進化生物学的につきつめていくと、誰もが自分にテイクが返ってくることを前提に行っているということです。

要するに、だれもが本質的には「偽善者」だということですね。

そもそも偽善者を批判するということは、言い換えれば一方的にテイクだけが欲しいと言っているようなものです。

これはこれで傲慢な価値観にも思えますけどね…。

繰り返しになりますが、その善がたとえ下心のある行為であったとしても、それで救われる人がいる限り、称賛すべきなのでしょう。

何かをテイクしてもらった人は、その相手に対して何かをギブしてあげるべきです。

それはもちろん金銭に限らず、お礼の言葉や評判を高める様な行為でも構いません。

 

「偽善者」と非難されないように注意すべきこと

たとえ下心のある行為であったとしても、偽善は称賛されるべき…と書きましたが、それでも「偽善者」と侮蔑されるのは気分が良くないですよね。

またそのような言葉が出るということは、発言者も偽善行為に対し不快に感じているということです。

そんなことは人の価値観次第…と言うのは簡単ですが、ここではお互いが不快な思いをしないため、心掛けるべきことをお伝えします。

  • できるだけ周囲に不快感を与えない
  • 自分の都合で相手に迷惑をかけない

この二点は気を付けるべきですね。

 

周囲に不快な思いをさせないよう心掛ける

たとえ相手の利になる善行為だとしても、露骨に「相手を利用してやる」という態度が表面に出ていると、周囲の人は不快に感じるケースが多いでしょう。

ビジネスマンにとっては当たり前の行動でも、これに慣れていない人は多いのです。

何か下心のある人間を警戒するという直感は正しいし、あまりいい印象は持たれはしないはず。

自分の下心を必要以上に相手に伝わらないよう配慮することも重要だと思いますよ。

これは一種の処世術です。

 

自分の都合で相手に迷惑をかけない

よくあるパターンで、途中まで都合よく話をすすめ、自分の状況が変わった途端に手のひらを返す人がいます。

下心を持って善行為をしようとし、自分の都合で中断する。その場合残るのは相手の不快感のみなので、これはもはや「偽善」ではなく「悪」と解釈されてもおかしくないです。

自分の言動・行動には責任を持ち、一貫性が伴うようにしましょう。

 

まとめ

以上です。

私の主張として、たとえ下心があろうとも、他者を助ける様な善行為は好ましく、偽善者も称賛されるべきだと思います。

その行為によって、そこに救われている人がいる。

これが大事なのです。

ただし偽善の場合、元の動機が不純なため、状況が変わると手のひらを反す人がいます。

これは場合によっては偽善ではなく「悪」になるので、自分の行動には責任は持ちましょう。

社会で暮らしていると、人はどうしても「他者の本意」を推測してしまうものです。

これが適切ならば悪人に騙されないよう役立ちますが、過剰になるとどうしても心に負担がかかりますよね。

生きづらさを抱える人が少しでも減るよう、お互いを気遣い、より暮らしやすい社会の実現に取り組みましょう。

それでは今回はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました。

 

✅参考にした書籍

コメント

タイトルとURLをコピーしました